2016/08/29

香香背男の石


     昔、神代の頃。天津甕星(星野香香背男-ホシノカガセオ)をという神がいました。
      武甕槌命と経津主命は葦原中国を平定していましたがこの星神だけは
     どうしても倒せません。勢いを増したカガセオはその身を岩に変え、
     高天原までぐんぐん伸びていきます。そこへ建葉槌命が出向き金の靴で
     岩を蹴りバラバラに散らしカガセオを成敗しました。砕け散った岩は今、
     宿魂石という名で日立市の大甕神社に収められています。
     カガセオは常陸国の大甕山、甕の原を支配する酋長でした。
     日本の神話で唯一の星の神が市内にいるなんて!というわけで色々資料を
     漁りました。ここからはそのまとめを書き連ねたいと思います。長いです…!

     ※ 私個人の考察・想像にすぎないので話半分でお読みください)
     天津神とされている悪星神カガセオは何者なのか。多賀郡郷土史では
     「天孫朝廷の一大障害となっている。眼光は爛々として星の如くに輝き、
     骨格は毅然として雲突くばかりに高く、足は剛健にして猛獣の如くに強く、
     手は最大にして禽鳥の如くにはやく。加ふるに幾百幾千万の同族を指呼し
     昼は自ら海中の磯神岩の上を漁りて好んで魚介を貪り、夜は巧みに身を
     晦まして大甕山上の雷断石の間隙間に隠れ、進退自在、千変萬化、
     特獨の長枝を弄して敵を侮り、民を悩まし眼中人なく、また国の尊厳の
     何たるかを知らぬものであった。(中略)聞くところによれば、某昔
     香香背男の一族は、駿河国、富士山麓の海岸にあって得意の暴力を
     以って人民を悩ましてあったが、天孫系の大和民族の発展と共に、
     段々北へ北へと駆逐せられて、我常陸の海岸の一隅なる三日星の浜辺
     に転任せられたものであるとのことである。」と記述されています。
     
     これを読むと常陸国風土記に登場した土蜘蛛・蝦夷を思い出しますし、
     日立の伝説(著:柴田勇一郎)では蝦夷との関係も指摘されていました。
     歴史博物館の元館長から伺った話ではおそらく諏訪の神だということでした。
     確かに茨城県には長野県と交流があったと思われる縄文土器が出土しています。
     建御名方と同一視されることもあるのですが天津神とされているのは何故なのか。
     地元では不確かですがカガセオには「カオラザメ(カウラザメ)」という別名があったと
     いわれています。諏訪のほうから生き残り北上してきたカリスマリーダーという
     のが一番自然なのかなと思います。夜刀神との関連も視野に入れたい
     ところです。
       まだまだこれからも調べていこうと思っている地元の伝説です!
       しかし三日星の浜辺はどこにあったのでしょうか…